主体性・協調性バランスの取れたビジネスマンとは?

Question 

主体性が高いように感じる部下でも協調性が不足していたり、協調性の高い部下だけれども主体性に欠けていたりすると感じることが多くあります。どちらもバランスを取れたビジネスマンとはどんな人物なのかを知りたいです。 

Anser 

基本的には、精神的に大人になっているかどうかだけです。 

今、大人になりきれていない人が多く見受けられます。 

例えば、他人のことを気にしていたり、愚痴っていたりする人間はまだ精神的に子どもと言えます。 

最近、「主体性」や「協調性」があると評価について話を聞くことが多いですが、それが本当に主体性や協調性があるかどうかといえば、難しいところです。 

例えば、上司や年配の方の言うことを聞くというのは、その相手が怖い、嫌われたくないから一生懸命やっているケースがあります。 

そういう場合は、影で文句を言っていることが多々あります。 

上司の目が届くような部分での主体性や協調性は、意外ではあるかもしれませんが、本当の主体性や協調性でないことのほうが多いです。 

むしろ、反発してくるような部下には主体性が育っているケースがあります。 

1つの事例ですが、あるお好み焼きのチェーン店は、地方の店長はほとんどが暴走族をやっていたような人たちだといっていました。それは、もちろんながら社長が優れた人物であったのは言うまでもありませんが、彼らが社長や上司と対話ができるから(反発も含めて)、つまりはもともと主体性の原石があったからこそ、そこまで育ったという話です。いわゆる表面的な付き合いのうまい「いい子ちゃん」では人物は育たないのです。 

こちらは悪い事例ですが、少年野球の指導者で、子どもたちに怒鳴り散らすような厳しい指導をしている指導者ってよくいますよね。すべて指示されて動いている子たちは、それを「学習」してしまいますから、中学校にいっても、高校にいっても、自らの考えで動いているのではなく、指導者に依存しています。だから傍目には一生懸命やっているように見えますが、「怒られたくない」「嫌われたくない」そんな心理的な力が働いています。 

今、大人が大人になりきれず、子どものちょっとしたことでも、受け止めることができないで、慌てたり、激怒したりするひとが多い世の中になってきました。もちろん、会社組織の中でも、部下に対してそういう対応をしてしまい、パワハラがなくならないなどの諸問題が起こっています。 

教育現場をみると、「青春時代は反発するもの」であり、それは一過性のもので、第二次反抗期だと受け止められる大人が少ないようにみられますね。 

そんな反抗期の子どもたちに頭ごなしに、目くじらたてて腹を立てたところでなにもなりません。それを理解して受け止められない行動自体が大人になりきれていないということです。 

幼児期の子育ても同じですね。 

セミやおたまじゃくしなどを手で掴んでとったり、その辺のものを触りまくったり、ビー玉を口に入れたりすると、「汚いよ!」・「危ないよ!」とその行動に感情を大きく崩してしまったり、また、熱が出た時にあわてて病院に連れて行ってしまったりする親御さんも多いような気がします。子どものちょっとした行動に、心を左右されてしまうのは、大人が大人になりきれず、精神的に子どもである証拠ともいえてしまうのです。 

でも、若い時にはあたふたしてしまうお父さんやお母さんも、昔であれば、「おばあちゃんの知恵袋」ではないですが、経験豊富で精神的に大人な祖父母から『知恵』や『心持』を授けてもらって、落ち着いて対処していたでしょう。 

ということは、指導する側の接し方で部下たちを真の大人へと導いてあげないといけません。それには、指導する側が大人になり、対応してあげることが肝心ですね。 

まずは、指導する側が率先垂範して、主体性・協調性をさらに身につける努力を惜しまないことが肝になると思います。